台風一過の独り言-哲学的な何か
小さくて強い、台風15号が過ぎ去った日の午後。
煙草を咥えつつ遠くを眺めると、公園が見えます。
お揃いの帽子を被った子どもたち。
きゃっきゃと笑いながら元気に走り回っています。あ、転けた。大丈夫かな?
公園の隅っこにはじーっと地面を見つめてる子がいます。アリさんでも見つけたのかな。
いつもの光景なのですが、植え込みの中でサワサワと風に揺れるネコジャラシを見てふと思いました。
「この世界を制しているのは、もしかするとネコジャラシなのかもしれない」
たこ焼きは突然何を言い出すのか、とうとう頭がおかしくなったのではないか、と心配する方がいらっしゃるかもしれませんが、私は至って真面目ですし、頭は元々おかしいです。悪しからず。
『我々“人間”は、太古より文明を築き、国際問題や自然災害に悩みつつ、この地球上で生きている』
地震や台風は人間にとって迷惑だけど仕方がないこと。
じゃあ、他の生物から見た人間って、どんな存在なんだろう。
ネコジャラシにとって人間は迷惑だけど仕方がない存在なのかもしれない。
人間がオバケを怖がるように、ネコジャラシは人間を「よく分からないもの」として怖がっているのかもしれない。
ネコジャラシにも意思があって、文明があって、自分が地球を牛耳っている生物だと思っているのかもしれない。
人間がそうしているように。
「植物に脳はないし、科学的にありえない」
でも、科学だって所詮人間が作ったもの。
アリだって、同じように思っているのかも。
カラスも。魚も。生物それぞれが。
逆に言うと、人間を
「人間にとってのネコジャラシくらいの存在」
として捉えている、人間の知り得ない大きな生き物がいるのかもしれない。
人間はネコジャラシを引っこ抜いてもアリを踏み潰しても、大して気に留めない。
同じようにその生き物にとって気にも留めないことが人間にとって大きな打撃になっているのかもしれない。
地震も台風も、人間が超常現象としているものも、その生き物がくしゃみをしただけなのかもしれない。
それどころか。
この宇宙自体がとても大きな生き物を作る素粒子の中の1カケラに過ぎなくて、
その生き物が死んじゃえば宇宙もろとも無くなってしまうのかもしれない。
あれ?
じゃあ、もしかしたら、
私の素粒子にも宇宙が存在していて、
その中に銀河があって、太陽系があって、地球のような星があるのかもしれない。
私の体は気が遠くなるくらい大きな数の素粒子からできている。
その素粒子それぞれに宇宙が存在したら。
こんなことを考えていたら、珈琲が飲みたくなってしまいました。
煙草も吸いたいし、ここで筆を置くことにします。
哲学じみた思考実験的な妄想なので、オチはありません。
では。